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2007年1月23日 (火)

おもしろ印講座 5回目 篆刻とその歴史

お待たせしました。おもしろ印講座5回目です。
文よりも写真を探すのに手間取ってしまいました。
(写真はクリックすると大きくなります。)
中国の篆刻の歴史を本当におおざっぱに見ていきます。

②篆刻とその歴史
 「篆書を刻すから篆刻」なのですが、いつから篆刻と呼ぶようになったのかは定かではありません。芸術としての篆刻が盛んに行われるようになったのは、中国、明の時代だそうです。当時の文人は、絵画、書、詩、文章などとともに、篆刻が出来なければならなかったようです。何でも自分で出来ないと文人とはいえなかったのですから大変ですね。

自分で書いて自分で刻す、自書自刻で作品を作り楽しんでいました。ちょうど、字を刻すのにふさわしい柔らかい石が採れるようになったので、篆刻が流行したそうです。そして、鑑賞の対象にまでなっていきました。
 
ではここで、中国の印の歴史を見てみましょう。
中国の印のはじめは、秦より前の春秋戦国時代のものが残っています。銅で出来たもので、官職や姓名を刻して権威を示し、璽といったそうです。後に始皇帝が皇帝の印のみを璽と呼び、臣下のものは印と呼ぶようにしたことから、秦以前のものを古璽といって区別しています。この古璽から中国の印の歴史は始まるようです。

古璽の中には、字だけでなく、動物や文様などもあり、まさに、おもしろ印のルーツはここにあるのです。

璽も難しい字ですねー。「爾」と「玉」の合わさった字ですが、爾は象形文字で「美しく輝く花」の形で、「玉」はややこしくて、この時代「王」の意味だったり、石の「玉」(ぎょく)だったりします。とにかく難しい字です。

璽を漢和辞典で調べると「王土を支配する者のかがやかしい印の意味」とあります。確かに皇帝だけが使うにふさわしい字です。この璽は代々の皇帝が受け継いでいくのですが、璽をめぐって権力争いが絶えなかったのが中国の歴史です。それほど重要なのですね。大体宝石の玉(ぎょく)で出来ていて玉璽なんていいますね。(日本でも天皇の印を天皇御璽といいます。)権力の象徴です。権力そのもの、といってもいいかもしれません。なんだかミステリーの世界に迷い込みそうなので話を元に戻します。

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次に封泥というのがあります。これは、文書や便りを他人に開けられないように、紐で縛りその紐の結び目に泥の塊を張り付けました。泥の封です。その泥に印を押したのです。そんなややこしいことを…、と思うでしょうが、忘れてはならないことが一つあります。

さて、この頃、便りは何に書いたのでしょうか?
この時代まだ紙は発明されてはいません。木簡、竹簡といわれる短冊形の木や竹に墨で書いたのです。だから、しっかり紐で縛って、封泥をして、という具合になるのです。

現在でも、この名残があります。どこかで似たようなものを見たことがありませんか?
ウィスキーの封を切るときにエンブレムの凹凸のある紐付きの、たいがいプラスチックの…。そう、あれです。香水にも付いているかもしれません。

ところで、前に書いた論語の件です。論語は木簡に篆書で書かれていました。そして、その大量の木の短冊を紐で結びつけて、ちょうど簀子のようにしてぐるぐる巻いたものを一巻としたのです。一巻は結構かさ張るものです。論語のような本は運ぶだけで大変だったでしょうね。

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篆書は縦横の線が真っ直ぐで、太さも同じ、間隔も同じ、ということで、とても刻しやすい書体です。もちろん中国の秦代では、皆さんが知っている楷書や行書は、まだ生まれていません。当たり前のことですが、その時代の書を刻したわけです。それは石や粘土に刻しやすい字だったのです。篆書は縦長の字形で幅も長さも同じにそろえて書きます。線の太さも同じ。縦画も横画もまっすぐです。線と線との間隔も均等です。だから、並べて書くのにとても適しています。秦の始皇帝は何でもきれいに並んでいるのが好きなようで、自らの墓を護る兵馬俑の大騎馬軍団もきちんと整列していますね。

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そして、次は漢代です。書道においてはとても重要な時代です。書体は篆書から隷書へと変わり、その隷書が楷書、行書、草書を生み出していきます。やはり、篆書は書くのが面倒ですね。だから、少しでも早く書けるように工夫したのが、隷書です。どうして、奴隷の隷という字を使ったのか。実はこの書体は秦代に既に出来ていて、実務に使われていたのですが、あくまでも始皇帝の時代では小篆が正式な文字で、隷属する字ということだったのです。

印の有名なものとして、「漢委奴国王」つまり金印があります。福岡県の志賀島から発見されましたが、中国から授かった物です。この頃の印は官印と私印で性格が違うようですが、身分、階級によって使う材料(玉、金、銀、銅)や、持ち手の部分の彫刻のデザインまで決まりがあったようです。官印制度といいます。つまり、印自体に権威があって、印そのものを所有することが重要な意味をもっていました。私印にはアクセササリーのような工芸的な要素もあったようです。

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後漢時代になると、いよいよ蔡倫という人が紙を発明します。と教科書に書いてありますが、それ以前の紙も発見されていますから、はっきりとはわかりません。まあ詳しいことは別のところで、ということにして、先に進めます。この紙の発明により、世界は変わるのです。

紙に書かれた文が多くなるに従い、証明として使用が格段に増えます。半印とか割印といったことが行われるようになります。いろいろなところで印が証明として重要な物になってゆくのです。

中国書道史で最も有名な人物の一人に、王羲之という人がいます。東晋時代の人ですが、それまでの不格好な行書、草書を、とても格好のよいスタイルにした人です。王羲之の出現によって書道の世界が変わります。この人の字が手本となって上手い人、つまり能書家が次々と出てきます。日本にも影響を与え、「弘法も筆の誤り」の弘法すなわち空海もそして、江戸時代の良寛さんも手本にしています。そして、現在においても、中国、日本の書道の手本とされているような字を書いた人なのです。

さて、その王羲之の字を愛してやまなかったのは唐の太宗皇帝です。唐は平和な時代が長く続いたので文化も盛んでした。特に太宗自らも書を学びましたし、名作を残しました。歴代皇帝の中では随一の書の達人です。そして、多くの人に書を学ばせようとして、王羲之の字の複製を作らせ手本とさせました。それによって書は隆盛しました。そこまではよいのですが、愛するがあまり、王羲之の書は全部皇帝の所有となり、こともあろうに、自分の崩御に際し副葬させたものですから、本物は一つも残っていません。現存する物はすべて複製です。それでも、唐時代のトップクラスの能書家が複製を作っていますので、王羲之の字を伺い知ることが出来ます。

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その代表作に「蘭亭序」というのがあります。複製ですが、今のようにコピー機でしたわけではないので、筆で敷き写しや篭字をしたりして書かれた肉筆です。本物がないのなら一番本物に近い物を歴代の皇帝は宝物として大切にしてきました。
さて、印の話です。この蘭亭序にはいろいろな種類があって、その中の一つ「神龍半印本蘭亭序」というのは、文字が324字に、印がなんと50数個も押してあるのです。所有者の印、鑑定人の印、紙の継ぎ目の印、割印、半印など。歴代皇帝の宝になってから、皇帝の変わるたびに印が押されました。印だらけです。印が証明という意味を持っていることがよく分かる例です。

そして、書道(中国では書法といいますが)が、芸術作品として、自己表現の手段となるのが明、清時代ということになります。この頃は展覧会を意識しての作品作りが始まります。
その中で、落款に用いる雅印が必要になってきます。そして、印そのものも鑑賞の対象となっていくのです。

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これが、中国の印の概略です。
ところが、世界的に見るともっと古いものがあります。

(写真、上から、封泥、木簡、兵馬俑、金印、蘭亭序、清時代の書の例)

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コメント

おもしろ印講座とても興味深く読みました。秦の始皇帝がきれいに並んだものが好きというところ、なるほど!という感じでした。確かに兵馬俑はバシッと並んでいますよね。とても、新鮮でした。王羲之のところも、「それまでの不格好な草書や行書を格好良いスタイルにした」といわれると確かに!と思います。そう言われるとわかりやすいです。
文章がとても練られているからでしょうか、すーっと頭に入ってきました。

投稿: はな | 2007年1月25日 (木) 18時59分

コメントありがとうございます。
誰からもコメントなかったので、
わかりにくいのか、読んで貰っていないのか、
ちょっと心配していました。

ただ、そう言われると、面はゆいですね。
思ったことを勝手に書いているので、
ちょっと怖いところもあります。
簡単にまとめるということは、
とても難しいです。

まあ、懲りずに次も読んで下さい。
まだ歴史は続きます。

投稿: kobottomo | 2007年1月26日 (金) 09時35分

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